春。桜の花が咲く頃、茶畑は施肥や除草作業で大忙しです!寒い冬に、ジッと耐えていたお茶の新芽がようやくふくらんで、うす黄緑色の茶畑とピンクの桜のコントラストがすばらしく、仕事の疲れを吹き飛ばしてくれます。

4月中旬

4月上旬になると、薄黄緑色だった茶畑が、だんだん緑の色が濃くなってきます。この頃になると市内の茶畑では一斉に黒いシート(被覆資材)をかぶせ、新芽が柔らかくうまみが増すようにします。おいしいお茶にするためには、ひと手間もふた手間も惜しみません!あとは遅霜の被害がないことを祈るばかりです。

4月下旬

4月中旬。いよいよお茶摘みが始まります! 今ではさすがに手摘みはやっていませんが、このように2人で持って摘み取る機械(可搬式摘採機)を使って、丁寧に新芽を摘んでいきます。10数年前からは乗用の茶摘み機を導入しましたが、段々畑や傾斜のきつい茶畑では機械が入らないので、この可搬式摘採機もまだまだ現役です。
5月中旬にかけて、約3ヘクタールの茶畑を摘みとります。 茶工場では摘んだその日のうちに加工するため、毎晩遅くまで、時には徹夜で製茶作業を行っています!

6月~7

真夏の炎天下!二番茶、三番茶を摘み取り、紅茶に加工します。 除草剤を使用しない茶畑では、雑草が元気に育っています! 虫や蛙、ヘビもたくさんいる茶畑で収穫量は決して多くありませんが、 環境にも人体にも優しい農業を実践しています。

その後も…

8月以降も草刈り、草取り作業が続きます。
最近は夏の暑さが尋常じゃないので、時々木陰で休憩しながらの作業ですが、美味しいお茶づくりのために大切な作業になります。
近年は山にイノシシが増え、茶畑の中の山芋やミミズ、ヘビを狙って土を掘り返したり石垣を破壊したりと困っていますが、金網や電気柵などでできる限りの対策をしているところです。

このような自然に育まれたお茶を
あなたのご家庭にお届けします!

太田重喜製茶工場History

無農薬栽培のはじまり

 農薬を使用しないお茶の栽培  小学5年の時に父を亡くした父(太田 重喜)は、体は小さかったのですが小学6年の時から当時使われていた有機燐剤で猛毒のポリドール、パラチオン、テップ、マラソン等の農薬散布に従事し、中学生の時に二度、その後20代前半までに三度も農薬中毒になりました。結婚後もランネート中毒を二度経験し、そのような時に父は本来「薬として我が国で飲用された」とされるお茶を「農薬を使って作り、体がボロボロになって良いのか?」「毎日洗いもしないで飲んで良いのだろうか?」と考え込む日が続いたと言います。
 当時も今も、茶の栽培暦には年間12〜20回の農薬の使用が記されています。父は当時もなるべく使う量や回数を少なくしたいと考えて栽培していました。そんな中、1978年(昭和53年)8月に(株)日本緑健(現在は閉業)の当時の社長であった故永田 照喜治氏と知り合い、作物を丈夫に育てる為の話を伺いました。そしてこの年の9月より一切の通常農薬(殺虫剤・殺菌剤・除草剤等)の使用をやめ、少ない肥料、本当に作物や土が求めている肥料を施用。病虫害の防除は栽培法の改良と安全な木酢や砂糖・海藻エキス・各種ミネラル資材・有効微生物資材を使い、約3ha余りの全茶園で無農薬栽培をしています。
(※現在は有機栽培と同様の栽培基準で栽培しているため木酢液等は使用していません。)
 嬉野特産の蒸製玉緑茶(グリ茶)を主に製造し、1988年(昭和63年)より紅茶の製造も開始し、今では玉緑茶に並ぶ主力商品となっております。さらに2013年(平成25年)からは中古の釜炒り茶の炒り葉機を導入して嬉野伝統の釜炒り茶も製造しております。
 茶園は、標高150mから500mほどの傾斜地の約20ヶ所に分散し、11品種を栽培して収穫時期の調整をし適期に摘み取りが出来るように工夫しています。

太田家初代「茂三」にちなんだこのしるしは
明治期より当家の道具類に記されてきました。
五代目の太田裕介まで受け継がれた
百五十年の歴史ある屋号紋です。